Text by 二宮寿朗
困ったときに頼れる人がいる。
たとえ出場機会は少なくとも、試合に出れば課せられた役割を全うしたうえで戻ってくる選手にしっかりとバトンを渡す。表現するなら〝スペシャルバックアッパー〟とでも言おうか。
「いきなり出番が来ても、それはもう腹を括るというか自分のことはどうでもいいのでチームを勝たせるところにフォーカスして試合に挑むようにしています。深く考えすぎずに、そこはシンプルに」
1月に35歳になったベテランはサラリと言ってのける。やっと手にした出番であっても割り切って己を消し、チームの歯車に専念できるのがほかならぬ實藤友紀である。
2023年シーズン秋、F・マリノスに最大の危機が同時に訪れていた。
9月29日、ホームの日産スタジアムでヴィッセル神戸との天王山に0-2で敗れると、10月に入って浦和レッズとのルヴァンカップ準決勝はアウェイでの第2戦(15日)を0-2で落として2戦合計1―2で敗退。かつ、この試合で上島拓巳、角田涼太朗が顔を骨折したことで、ケガで離脱している畠中槙之輔、エドゥアルドを含めてセンターバックの本職が後半から出場した實藤一人だけになってしまった。
大事な試合での負けが続いているチーム状況に加えて、センターバックまで足りなくなった。悪い流れに引き込まれてもおかしくない。しかしそうはならなかった。なぜならコンディションを上げてきた〝最後の砦〟がいたからだ。
6日後のホーム、北海道コンサドーレ札幌戦(10月21日)。
約1カ月ぶりにスタメンで起用となった實藤は、本来ボランチのキャプテン喜田拓也とコンビを組んだ。ともに180㎝に満たないことを弱みとせず、逆に強みに。ラインを大胆に引き上げることもあれば、繊細にコントロールもする機動性に富んだラインコントロールは相手の攻撃を封じ込めるばかりでなく、積極的な攻撃を促していく。アンジェ ポステコグルー時代を彷彿とさせるほどエッジの利いたハイラインであった。
「結果も出なくて、どういうふうにサッカーをやっていくべきかちょっと固まらない時期でもありました。立ち戻るっていうわけじゃないですけど、以前みたいにラインを思い切って上げることで少しでも前にいる選手たちが楽になればいい。そういう思いでしたね。ラインの上げ下げは相当にきついですよ。でも勝つためにはこれをしっかりやらないといけないってキーボーとも話をしました。キーボーは動けるし、競り合いも強い。あらためて何でもできる能力は凄いなって感じましたね。僕は80分にいかないくらいで足がつって交代しちゃいましたから(笑)。
あの試合は勝つために自分が今何をしなきゃいけないのかっていうのが、みんな整理されていました。前の選手も思い切ってゴールを狙って点を取ってくれて、後ろにいる僕らからしたら本当にありがとうって感じでしたね」
嫌な流れを断ち切る4-1快勝劇。そこに實藤の貢献があったことは言うまでもない。10月28日のアウェイ、アビスパ福岡戦ではケガから復帰してきたエドゥアルドとのコンビでフル出場して4-0勝利を挙げる。無失点で乗り切ったのはリーグ戦で実に9試合ぶり。2戦連続の4ゴールも、最終ラインの後押しがあったことは言うまでもない。
「これまでみんなが頑張ってきてたし、いい順位で戦えているのも試合に出ているのもみんなのおかげ。自分が出て、そこを切らしたくないっていう思いはありました。(外から見ていて)全体的に疲れが出ると徐々にラインが下がってしまいがちで、上げようと思ってもなかなかバッとはできない感じもあったので、自分が出たらそこはやっていこうと。やみくもにラインを上げればいいわけではなくて、前と後ろの選手の距離がよりコンパクトになることを意識してプレーしたつもりではあります」
自分の出場から2連勝して息を吹き返したとなれば先発定着かと期待してもおかしくない。だが、中断期間で上島、角田がチームに戻ってくると次のホーム、セレッソ大阪戦(11月12日)はメンバー外に。普通なら気落ちしてもおかしくないシチュエーションではある。
「手応えはあったし、使ってもらえるかもしれないなという気持ちはありましたよ。でも1シーズン通してリーグ戦は3試合しかプレーしていないし、それこそ試合に出てきた選手には信頼がありますから。メンバー外が決まったときはいつか来る機会に向けて準備していこうと思いました」
気持ちをスパッと切り替えて、次に向けて準備を。
心に、そしてコンディションにアップダウンをつくらないから、いつなんどきもスタンバイができるのが實藤である。
瞬発力系のデータは30代半ばになってもチームのトップクラスを維持している。天性のものではあるものの、高いモチベーションで全体練習に取り組み、フィジカルコーチやトレーナーの指導やアドバイスに耳を傾けて、実行に移しているからこそ。全体練習前の取り組みについては試行錯誤が続いていたが、筋肉に刺激を入れる方法を採用してからはケガも減ったという。
横浜には家族を置いて単身赴任のため、ほぼ外食になってしまうという。それでもクラブが契約する栄養士に相談して、自分なりに栄養バランスに気を配ってきたつもり。ストイックとまではいかないが、決して緩くもない。ちょうどいいあんばいが、変わらないコンディションの秘訣だと言えるのかもしれない。
頼れる人だというのは、ピッチ上のみならず。ケガで離脱している選手や出場機会に恵まれない選手に対して何気なく声を掛ける。フィールドプレーヤー最年長が全体的に目を配っていることも、チームのファミリー感に一役買っている。
實藤のキャリアを振り返ってみると、F・マリノスとは少なからず縁があった。
徳島県徳島市出身。小さいころからプロサッカー選手になるのが夢だったという。進学校の県立城南高校でフォワードとして活躍し、高2のときに四国トレセンに選ばれて体力測定でも高い数値を記録したとあってナショナルトレセンに呼ばれた。
Jヴィレッジに行く前に、F・マリノスユースの練習に参加させてもらったという。2泊3日でクラブの寮に泊まり、午前中はトップチームの練習を見学して同じフォワードとしてアン ジョンファンのプレーを目に焼きつけた。しかし夕方からのユースの練習に入ったときに不慣れな人工芝のグラウンドに足を取られてケガしてしまい、結局はナショナルトレセンに行くことができなかった。
「めちゃめちゃショックでした」と人工芝に苦手なイメージを持ってしまうきっかけにもなった。
全国大会出場の経験はなく、無名の存在ではあった。それでも高いポテンシャルを買われ高3の夏にU-17日本代表候補に選出されている。
卒業後の進路は大学一択。地元・徳島ヴォルティスの練習に参加したとはいえ、いきなりプロの世界で通用するとは思えなかった。2つ上の兄が私立に通っていたため、両親からは国立への進学を望まれていた。
2つあった国立の候補も、特待生待遇での話をもらってセレクションにも参加した関西の私立強豪校も「何かが違う」と思って受験には至らない。最終的に本命として残ったのが、隣県の高知大学だった。
「練習に参加したら、土のグラウンドだったんですよ。高校までずっと土でしたから〝やっぱここやな〟と。ほかのところは人工芝もあって、あのときのケガもほんのちょっと頭に引っ掛かっていたところはあります(笑)。高知大サッカー部は部室や施設も古いんですけど、今までと変わらない環境でサッカーをやれることが魅力でした」
高校の担任からは落ちた場合を考えてセンター試験を受けることも勧められたが、高知大の推薦入試一本に絞った。いくら実技試験が良くても、小論文と集団ディスカッションの得点が低いと厳しい。小論文のためわざわざ塾に3ヵ月通ったほどだ。その執念が実って見事、合格を勝ち取った。
高知大サッカー部との出会いが、實藤にとってまさにターニングポイントとなる。
全国から選手が集まってくるだけにレベルは想像していたよりも高く、トップチームに入ることもままならなかった。
大学1年の冬、紅白戦でセンターバックがいなかったことから監督の打診に二つ返事で応じた。
「ぼーっとしていたときに監督と目が合って(笑)。やってみたら楽しかったんです。守備のことは全然分からないのに、裏に出たボールに対して全力で戻って、飛んできたボールをヘディングではね返して、そこからドリブルして運んでというのが。前のポジションでは自分のスピードをうまくコントロールできなくて活かせられていないと感じていました。上の学年の先輩たちに勝てなくて、これじゃプロなんて無理だと思ってサイドをやったり、いろんなポジションをやったりしていて、もうこの1回だけで、センターバックで勝負したいなって感じましたね」
転向後はレギュラーに定着して大学3年時には夏の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで決勝まで進出。永井謙佑、藤田直之らを擁する福岡大学に1-3で敗れて準優勝に終わったものの、地方国立大の躍進に注目が集まった大会でもあった。
4年になるとすぐ、早くから實藤をマークしていた川崎フロンターレへの加入が内定。ただF・マリノスからも練習参加の打診があったという。
「ずっと追ってくれていたフロンターレにお世話になると決めていました。F・マリノスのスカウトの方がわざわざ高知まで来てくれたんですけど、すみませんって断らせてもらったんです」
秋にはU-21日本代表に選出され、中国・広州でのアジア大会に出場して優勝を勝ち取っている。UAE代表との決勝戦ではF・マリノスから栃木SCに期限付き移籍していた水沼宏太のクロスを右足でゴールを奪い、これが決勝点となった。
写真(本人提供):中国・広州でのアジア大会出場時。左は水沼宏太「宏太とは小学生のときに会っているんです。全国大会でおみやげ交換会なるものがあって、神奈川県代表と徳島代表がペアになって。僕がいた徳島FCリベリモの監督が〝水沼貴史さんの息子がいるぞ〟って教えてくれて。U-21代表のときに、その話をしたら〝おー、あのときいたんだ〟って(笑)」
あれから10年近く経って水沼とチームメイトになるとは夢にも思わなかった。
フロンターレで5シーズン、アビスパで4シーズンと少し。コロナ禍によってリーグ中断となった2020年3月、オファーが届いたF・マリノスへの移籍を決める。ちょうど水沼もこの年にセレッソ大阪から古巣に復帰していた。
「アビスパも監督や強化部も代わってちょうど変革期を迎えていて、31歳でもう若くない自分に対してチャンピオンチームからのオファーだったのでうれしかったですね。前年はJ2でも下位で低迷していましたから、J1に戻って自分が本当にやれるのかなっていう思いはありました。でもここでチャレンジしないっていう選択肢は自分になかったです。F・マリノスに入ったときからフィールド最年長。宏太もいて、凄く入りやすい雰囲気で迎えてくれたのはありがたかったです」
ハイラインを機能させるためにチームはスピードのあるセンターバックを求めており、實藤はまさに意中の人でもあった。大学1年の冬、センターバックに転向したときの「楽しい」という感情がよみがえってくるようでもあった。
「F・マリノスに入って超アグレッシブなサッカーを実際にやってみて衝撃的ではありました。それに自分に合うなとも思いました。これだけ点が取れるチームってなかなかない。攻撃のための守備なんだなって、すべてが攻撃につながっているんだなって今までになかった感覚を持つことができて、とてもいい経験になるだろうなって。ただ練習はめちゃくちゃきつくて、ついていくのがやっとでした」
中断明け初戦、アウェイの浦和レッズ戦(7月4日)に先発するも、右ハムストリングの負傷で前半44分に交代。いきなり得たチャンスを活かせなかったことで大きなショックを受けたかと思いきや、すぐに切り替えてリハビリに励んだ。
早く戻ってみんなと一緒にアタッキングフットボールをやりたいという、その一念。落ち込んでいる暇などなかった。
8月に復帰するも翌月のアウェイ、名古屋グランパス戦(9月9日)で再びプレー中のケガによって前半44分で交代となり、離脱を強いられてしまう。
「そのときも落ち込むとかはなかったですよ。一日寝たら、忘れます(笑)。仕方ない、次ってそんな感じでした。あとはもう治療してもらって復帰がどれくらいかって分かったらピッチに戻るためにリハビリするだけなので」
全力で走り、全力でぶつからなかったら自分じゃない。不運にもケガが続いてしまう形になったが、屈することも自分を見失うこともなかった。
アジア大会で開通した水沼とのホットラインは健在であった。
2020年12月4日、ACLグループリーグのシドニーFC戦では水沼からのボールをボレーで突き刺して、これが決勝トーナメント進出を決めるゴールとなる。21年にはアウェイでのセレッソ大阪戦(10月24日)で左CKからヘディングシュートを、22年にはACLグループリーグ、シドニーFC戦(4月25日)ではクロスからダイビングヘッドで決めている。いずれも水沼のアシストだ。
「なぜか合うんですよね(笑)。宏太の蹴り方や、(ボールの)軌道は頭にしっかり入っているし、逆に宏太も僕の動きを分かっているはず。特にああやろう、こうやろうっていう話をしなくても、お互いに何となく理解できている感じはあります」
ゴールでも頼れるのが實藤だ。
2022年3月12日、アウェイでのコンサドーレ戦。0―1で迎えた後半アディショナルタイムにオーバーヘッドで劇的な同点弾を決め、それがJリーグ月間ベストゴールに選ばれている。
右サイドの小池龍太にボールを渡して前線に向かった。クロスをアンデルソン ロペスがヘディングでつなぎ、そのボールを振り向きざまに右足で合わせている。
「負けていたので最後、決めてやろうっていう気持ちで中に入っていきました。フォワードをやっていたころもオーバーヘッドってやったことないんですけどね(笑)。みんながいないところに入っていって浮かせたボールがゆっくりだったので、ヘディングだと(力が)弱くなるから足を思い切り振ったほうがいいなと思ってああいう形になりました。周りが喜んでくれていたので、入ったなと分かりました」
チームを勝たせるところにフォーカスする。實藤のポリシーが呼び込んだシーンでもあった。
2021年夏にポステコグルーがチームを去った後、アタッキングフットボールを継承したケビン マスカットのもとで2022年シーズンJ1リーグを制覇。プロになってから初めて手にしたタイトルがこんなにもうれしいとは思わなかった。
「勝つときもあれば負けるときもある。どんなこともがあってもブレないでチームとして戦っていくなかで、リーグ優勝があったと感じました。優勝してみんなで喜んで、自宅に戻ってきたときにこれって凄いことだよなってしみじみと感じたし、うれしい気持ちがこみ上げたというか。選手だけじゃなく、スタッフ、クラブ、ファン・サポーターみんなの力で成し遂げることができて、やっぱりここはビッグクラブだなって思いました」
F・マリノスで5年目となる2024年シーズンが開幕した。セルティックでコーチを務めた元オーストラリア代表のハリー キューウェルが新監督のもと王座奪回を目指すとともにアタッキングフットボールは次のステージに入ることになる。
實藤もチームの新しい変化を楽しみにしている。
「守備のやり方だとかフォーメーションだとか、いろんなところで変化は感じています。みんなポジティブに取り組んでいるし、長い目で見れば楽しんでサッカーをやれる、いいチームができるんじゃないかなって僕自身思っています。もちろん監督だけじゃなく、選手もスタッフもみんなの力でつくりあげていくもの。強いF・マリノスをつくっていけるような予感があります」
今シーズンも試合数は限られてしまうかもしれない。たとえそうであっても、やるべきことは変わらない。高いモチベーションを維持して、フィールド最年長としてチーム全体に目を配りつつ求められる役割に集中するだけだ。
「1試合1試合全力で勝ちに行く姿勢、インパクトを残すところはずっと意識してやってきています。今までそうやってきて、チームに必要な存在だと思われているならそれは凄く光栄なこと。いつ声が掛かってもいいようにしっかり準備しておきたいと思います」
頼れる男の揺るがない矜持。
F・マリノスを支える最強のバックアッパーは最高の準備をして出番を待つ――。







