Text by 二宮寿朗
反撃の狼煙(のろし)を上げる一戦となった。
チームにとっても、そして守護神・朴一圭(パク イルギュ)にとっても。
最下位に沈み、天皇杯を含めて公式戦4連敗で迎えた6月28日、アウェイでの湘南ベルマーレ戦。先制されながらも後半に追いついて1-1の痛み分けに終わったゲームながら、強気なハイラインによって押し込んで終盤はペースを掴み続けた。あっぷあっぷの勝ち点1ではなく、むしろ勝ち点2を失ったくらいの感覚。後半途中にセンターバックに回ったキャプテンの喜田拓也と協力しながら、全体をプッシュアップさせたのがリーグ戦10試合ぶりに先発した朴であった。
「一人のプレーヤーとして自分に何ができるのか、自問自答してこの試合に臨みました。チーム状況はもちろん苦しいんですけど、このクラブのエンブレムを着けてプレーできるのはやっぱ楽しいなって思ったんです」
苦しいのに楽しい。
裏の広いスペースをカバーし、攻撃の起点となる。後半40分には相手のクリアを回収して喜田に縦パスを送り、そこから宮市亮のヘディングシュートにつながっている。
「みんな(前から)プレッシャーに行きたいんだけど、裏に蹴られるのがどうしても怖くなる。最初は高い位置で入っていても段々ラインが低くなって、GKも自ずと下がらざるを得ない。だからもうここはディフェンスラインと被ってもいいから(高い位置まで)出ていこう、と。〝ラインを下げないで〟と口で言っても伝わりきらないなら、パギはここまで出てくるんだって肌感覚で分かってもらったほうがいい。そうなれば徐々に下がらなくなるし、(下がるのを)止めてくれる。そうすることで(湘南戦以降)ラインが上がっていったところはあると思います」
ヘッドコーチから昇格した大島秀夫監督のもとで建て直しを図るチームは次節の横浜FC戦(7月5日)、名古屋グランパス戦(20日)でクリーンシートをマークして2連勝を飾り、FC町田ゼルビア戦(8月23日)のスコアレスドローでついに降格圏から脱出する。チームの不安定さは残ったままであっても、朴のアグレッシブな姿勢がチームを奮い立たせているのは間違いない。
2025年、朴は4年ぶりに愛着ある古巣に戻ってきた。
元々、F・マリノスを離れたくて離れたわけではない。2019年リーグ優勝メンバーの一人である彼は翌年、秋に集中開催となるACLの外国籍枠事情によってその登録メンバーから外れ、チームはGKを補強すべくサガン鳥栖から高丘陽平を獲得。そのため出場機会を求めて鳥栖への期限付き移籍に至った経緯がある。
「僕も凄く悩んだんです。そんなときにアンジェ(ポステコグルー)に呼ばれて『試合に出ることが大切。自信を深めているお前がこの1カ月間、試合に出られないのはきっとキャリアに影響する。鳥栖はお前が活きるようなサッカーをしているから、行くべきじゃないのか』と背中を押してもらったことで踏ん切りがついたんです」
鳥栖ではずっと先発を張り続け、チームの象徴の一人となっていく。完全移籍に切り替わり、2022年11月には日本国籍を取得している。奮闘むなしくJ2降格が決まった2024年シーズンの戦いを終えると、F・マリノスから復帰のオファーが届いた。
「2020年は自分で(外国籍の)枠を勝ち取れなかったので、いつかF・マリノスに戻ってチャレンジしたいという気持ちは心のなかにありました。だからオファーをもらったときはうれしさがあった一方で、やっとそのスタートラインに立てるんだなという気持ちでしたね」
移籍加入を決めると朴はキャプテンの喜田に電話で連絡を入れている。副キャプテンとして鳥栖を引っ張ったことで喜田の立場もより理解できるようになった。
「鳥栖でもエンブレムの重みというものは発信しながらやってきたつもりです。F・マリノスでの特に1年目(2019年)は年下のキー坊に頼っていました。でも自分も経験を積んできたからチームのことを任せてもらえる部分は自分に預けちゃっていいよ、と言ったんです。俺、背中を押すからもっと自分のプレーに専念してもらっていいんじゃないかって」
喜田を支えたい、チームの力になりたい――。
強い気持ちを抱いて迎えた2025年シーズン。久しぶりに戻ってくると、緊張が走ったという。自分を成長させてくれた松永成立GKコーチのトレーニングは懐かしくもあるとともに、〝お前の成長はそんなものか〟と突きつけられた気がしたからだ。
「あれは初日の練習でしたね。(飯倉)大樹くん、ポープ(ウィリアム)、(木村)凌也と優秀なGKがそろっていてみんなレベルが高い。大樹くんもポープも、ずっとシゲさんに鍛えられてきたから、(技術的に)自分がちょっと劣っているように感じてしまって、焦りました。自分がミスしているわけじゃないんだけど、周りのほうがよく見えるというか。もちろん自信はあるし、それが揺らぐことはないにせよキャッチング一つ、セービング一つにこだわらせるのはシゲさんからしたら、自分はまだまだ未熟者だと思われているだろうな、と。でも35歳になってもこのトレーニングをやっていけばまだまだ自分には伸びしろがあるなとも思いました」
レベルの高い競争は、朴をさらなる高みへと誘っていく。開幕から正守護神の座を射止め、目指してきた「勝たせるGK」であろうとする。しかし課題だった失点数は減らせても、勝利につながっていかない試合が続く。スティーブ ホーランド監督が契約解除となり、チームは混迷期に足を踏み入れてしまう。かつて登録外の憂き目にあったACLエリートへの出場を果たしながらもサウジアラビアに出向いたアルナスルとの準々決勝は1-4と完敗。チームを好転させるきっかけの試合にできなかった。
この試合を境に、朴はベンチに回るようになる。こみ上げてきた感情は失意ではなかった。
「スティーブが何をしたいのか、(その後に昇格した)PK(パトリック キスノーボ)が何をしたいのかは理解しつつ、チームメイトが気持ちよく今のサッカーができているか、悩みを持っていないか、徐々にそっちにパワーを使ってしまって、自分のプレーをおろそかにしてしまっていたところはどこかあったかもしれない。チームが勝てていないのと、自分もいい影響をチームに与えられていない。塞ぎ込んで考えてしまう時間も長かったのでこういう思いを持ったら本当はダメなんですけど、出られなくなってちょっとホッとしてしまう自分がいました。ベンチに回ってからはチームを全力で支えようと思ったし、いつかまた出番が来るときまでにしっかり準備をしておこうという考え方ではありました」
勝てないのは自分のせい。ベクトルを自分に向ければ向けるほど、自分のパフォーマンスもどこか歯車が狂っていた感じは否めなかった。自分を見直せる時間は結果的に朴を救うことにもなった。
そんなときに恩師、松永成立GKコーチの辞任が発表された。ショックという言葉では片づけられなかった。
「このクラブに帰ってきた一番の理由は、シゲさんがいるから。正直言って、8割くらい占めています。(J3の)FC琉球からここにやってきてJ1で戦えるようにしてくれたのがシゲさんですからね。ダメなものはダメだとストレートに言ってくれるし、あの人から練習のなかで褒めてもらったことは一度もないんですよ。試合は火事場のクソ力みたいなものがでるけど、練習は自分を律しているとこともあるから凄いパフォーマンスを出すのって凄く難しい。それでも、ナイスプレーとシゲさんの口から言わせたかった。大樹くんが滑らかな動きで(シュートを)止めたときに褒めないけど、表情が〝ナイス〟と言ってるんですよ。確かに自分はあの滑らかさを出せなくて、いつかあの表情を出させたかった。そこが自分のモチベーションでもありましたから」
それでも前に進んでいかなければならないことは分かっている。〝シゲイズム〟を継承する榎本哲也GKコーチの指導を受けながら、ベクトルを自分の方に傾けながら己を建て直していった。何よりもそれがチームのためになるんだと信じて。愛妻にも励まされ、支えてもらった。いろんなものを乗り越えたうえで、自分のなかで消化させたうえであの湘南戦があったのだ。
喜田に代わってリーダーの役割を果たしたシーンがある。
9月28日、アウェイでのFC東京戦。3-0でリードして後半アディショナルタイムに入る寸前に1点を返された。VARの確認が長く掛かっていると、朴は選手たちを集めて〝締め方〟を共有しようとした。
「もし(相手の)ファウルが認められなくても1-3。アディショナルタイムに入ってどうクロージングしていくか。どう相手の陣地にボールを持っていって、どこでキープして、どう時間を使うか、意思統一をしたほうがいいと思っていて。シンプルに(谷村)海那に当てて、そこで拾って時間をつくってやっていこう、と。失点すると勢いはFC東京に傾くだろうけど、まだ2点リードしているから慌てないでしっかりやっていこうと声を掛けました」
さらに1点を返されたものの、何とか逃げ切ってノドから手が出る勝ち点3を積み上げた。結果的にはあの朴の声掛けが大きな意味を持つことになった。
オリジナル10でJ2降格がないのは鹿島アントラーズと2クラブだけ。前身の日産自動車サッカー部時代までさかのぼれば1981年にJSL(日本サッカーリーグ)2部から1部再昇格を果たして黄金期を築いて以降、43シーズンにもわたって1部の座を守ってきた。偉大な歴史に傷をつけないためにも、是が非でも残留は果たさなければならないミッションだった。
11月8日、アウェイの京都サンガ戦。朴はスーパーセーブを連発してチームに流れを呼び込み、3-0と快勝して勝ち点3を積み上げて残留争いの戦いに決着をつけた。ピッチにしゃがみ込んで目頭を押さえる喜田キャプテンにそっと寄り添った。
朴は試合前にこう語っていた。
「正直、プレッシャーはメチャメチャあります。メチャメチャ緊張感もあります。体が重くなって、筋肉が固まるときだってある。だけどこのクラブでプレーできているから、感じられるものでもあります。僕は横浜F・マリノスを〝家〟だと思っています。シゲさんからもそうですけど、このクラブからJ1で活躍するためには何が必要なのかを学ばせてもらったし、今もそれは同じ。この家があるから、自分はより成長していける。
だからこのプレッシャーを乗り越えたら、とんでもない経験値を手にすることにもなると思うんです。僕個人としても、チームとしてもひと皮むけるはず。落ちたらどうしようとか、そんなことは考えていません。しんどい思いをして乗り越えたら来年絶対に跳ねるっていう、ポジティブな思考に持っていって最後までしっかり戦い抜きたいなって思います」
横浜F・マリノスの新たな歴史を見据えた反撃の狼煙。最後尾に君臨するパギが猛烈にプッシュアップしていく。
クラブ史上最も苦しかった経験は、必ずやクラブの財産になる。いや、絶対にそうしなければならない。朴の決意は、クラブ全体の総意でもある。




