1993年のJリーグ開幕から常に優勝候補に挙げられながら、最高成績はステージ3位止まり。念願のJリーグ制覇を果たせない横浜マリノスは、長年、選手から監督としてマリノスに貢献してきた清水秀彦監督に代わり、1994年アメリカ・ワールドカップでサウジアラビアをベスト16に導いたアルゼンチン人のホルヘ ソラリ監督を招へいした。
その勝負の1995年シーズンは、印象に残るはアウェイでの鹿島アントラーズ戦。Jリーグ開幕以来、ここカシマでは一度(4連敗)も勝っていない鬼門のスタジアムだった。
1993年、初のカシマスタジアムでは練習でも使えず、その芝に馴染まず試合中にエースの木村和司選手や水沼貴史選手がスパイクを履き替えている間に失点を喫した苦い思いもした。ソラリ監督は、ルーキーの松田直樹選手、窪田龍二選手をスタメンに起用する大胆な布陣で挑んだ。試合は3-3のまま延長へ。97分、小村徳男選手が勝負を決める延長Vゴールを奪い、カシマで初勝利をあげ、過去2年とは違う勢いを感じた。
快調に首位を走る横浜マリノスだったが、その間にJ初代の得点王にも輝いたラモン ディアス選手が退団し、守護神・松永成立選手もチームを去った。さらに追い打ちをかけるように中断期のオーストラリアキャンプに病気を理由に参加しなかったソラリ監督が前代未聞の突然の辞任。トップチームに大きな衝撃と試練が待ち受けた。
追い込まれた横浜マリノスは、トップチームを初めて指揮する早野宏史監督の下、何とかこの苦境を乗り越えてファーストステージの優勝を掴んだ。
三ッ沢でのホームゲームに負け、その不甲斐ない戦いに激怒したファン・サポーターが、チームバスの前に座り込んで帰路を塞いだ。警備を任している横浜シミズより先に、そのファン・サポーターのところに行き、「いいかげんしろ!」と怒鳴った。3人のリーター格が私に詰め寄ってきて唾を吐きかけてきたが、「優勝を信じろ」と言って握手して、その場を収めたこともあった。今では、とてもそんな勇気はないです(笑)。当時は、広報というチームや選手と身近な場所にいたし、共に戦っている気分と若さがあったと思う。
そんな緊張の連続の中でも、ちょっと面白かったエピソードもある。大宮で行われた浦和レッズ戦、試合前に早野監督が選手に、「相手が赤い悪魔なら、こっちは青い妖精だ」と激を飛ばした。アルゼンチン人選手たちからは「妖精のほうが弱くない?」と言われたと、後に通訳から聞いて笑った。
ファーストステージ優勝をかけての大一番は、三ツ沢での鹿島アントラーズ戦。メディナベージョ選手の豪快な一発で先制し、井原正巳選手を中心とした固い守りで鹿島の攻撃をしのぎ、ついに初のステージ優勝。当日は、14,127人の人々が詰めかけ、優勝が決まった瞬間にピッチに雪崩込んできた。選手たちを肩車し、ともに歓喜を味わった。
今では、運営安全上、ファン・サポーターがピッチに飛び降りることは許されないだろうが、まるで南米クラブの優勝を見ている感じだった。下りてくるサポーターをとても止められることは出来なかった。後から聞いたが、優勝を夢見て2年間耐えたファン・サポーターたちの思いに警備責任者たちが限られた時間内だけ許したとの話だった。時間が来ると一斉にファン・サポーターたちはスタンドに戻った。
そう言えば、試合前に優勝した際の監督インタビューを先にどちらがするかで、NHKとTBSとひと悶着あった。マリノスは、1993年の開幕当初から地上波の放送でTBSと組んでいた。どちらも、その権利を譲らない局のディレクター。最後は、ピッチの上でコイントスして決めることにした。
私の投げた500円玉は、見事に芝に刺さり、裏表の判定は出来なかった。「これが私の気持ちです」と本当に困った。もう一度投げで、結局はTBSに。今でも、当時のTBSのディレクターに会うと、その話が出るくらい思い出深い。
優勝を目前に、その後の段取りを打ち合わせした時、運営担当のひとりはもう涙が溢れ出ていた。選手もファン・サポーターも、もちろんスタッフも誰もが待ち望んでいた優勝だった。
セカンドステージは、3位。このステージを制し、3連覇を狙う宿敵ヴェルディ川崎とのチャンピオンシップは東京・国立で開催された。この2試合ほど早野監督の手腕がいかなく発揮された試合運びはない。セカンドステージ終盤を仮想ヴェルディと想定し、その準備を行っていた早野監督は、圧倒的な攻撃力を誇るヴェルディを完全に封じ込め、数少ないチャンスを生かした。相手エースの三浦知良選手を抑え込んだ松田選手の強さは、その中でも特筆すると思う。
第1戦をビスコンティのゴールで先勝。
早野監督は、負傷で第1戦を欠場した爆発的なシュート力を備えるメディナベージョ選手を第2戦で先発起用してヴェルディに脅威を与えた。29分、右サイドで得たFKをビスコンティ選手がファーサイドでフリーになった井原選手に合わせ、それを落ち着いてヘッドで流し込みゴール。この貴重な先制ゴールを、川口能活選手が、井原選手が、小村選手が、いや全員でヴェルディの猛攻に耐え、守り抜き、ついにJリーグ3年目にて横浜マリノスが初の日本一に輝いた。
試合終了直前、私はベンチ横にいて、その瞬間に早野監督とがっちり握手した。高々とチャンピオンシャーレを掲げる井原キャプテン。その感激は今でも忘れられない。
2022シーズン、5度目のJリーグチャンピオンを目指す横浜F・マリノス。攻撃力あるチームの戦いは、本当に見ていて楽しい。そして、あの時と同じく私は優勝を信じている。
根本正人
日産自動車サッカー部のプロ化業務を担当し、横浜マリノス株式会社では広報部、商品販売部などでクラブ運営に長く尽力。現在、神奈川新聞でコラム「マリノスあの日あの時」(毎月第1、第3金曜掲載予定)、好評連載中。