Text by 二宮寿朗
信頼に応え、さらなる信頼を集めていく。ハマの守護神、高丘陽平には26歳ながら確固たる風格が漂い始めている。真摯に、愚直に、臨機応変にプレーをやり遂げ、最後方からチームを引き上げる存在である。少年時代はF・マリノスファン。憧れたチームでプレーする感謝と責任の気持ちを胸に、ゴールマウスに立つ彼の揺るぎない信念とは--。
GKの席は一つしかない。
極端に言えば、定着できるかどうかのチャンスもそうあるわけではない。いかに準備し、コンディションを整え、最大限のパフォーマンスを発揮できるかどうか。〝急に出番が来たから〟〝久しぶりの試合だから〟は通用しない。GKをめぐる世界とはそれほどシビアだ。レベルの高い競争であればあるほど、一度のチャンスを活かし切る己をつくっておかなければならない。
松永成立、川口能活、榎本達也、榎本哲也、飯倉大樹、パク イルギュ……。F・マリノスで一時代を築いてきた歴代の守護神たちに似合うだけの風格が、高丘陽平に漂い始めている。
2021年4月からリーグ戦においてずっと先発出場を続けており(2022年5月29日、ジュビロ磐田戦終了時点)、安定したパフォーマンスを見せている。確かなセービング、ハイラインのケア、攻撃の起点になるパス。真摯に、愚直に、そして臨機応変にやり遂げ、積極と安定の絶妙なバランスによって簡単には揺るがない地位を築きつつある。
「ふとしたときに〝俺、F・マリノスでやってんだ、ここのGKなんだ〟って思うことがあるんですよ。小さいころから身近にあったクラブなので、まさか自分がF・マリノスのエンブレムを背負ってゴールマウスに立っているとは想像もできなかった。このクラブでプレーできる感謝と責任を、ピッチで表現していきたいという思いを強く持っています」
トリコロールへの憧憬は、モチベーションの源流。
1996年3月、横浜市生まれの〝ハマっ子〟は小さいころ父親に連れられて横浜国際総合競技場(現在の日産スタジアム)をよく訪れていた。7歳のときには2003年セカンドステージ最終節、久保竜彦がアディショナルタイムに決勝ゴールを奪ってジュビロ磐田に逆転勝ちで優勝した「奇跡の両ステージ制覇」も2階席から目撃者となっている。
サイン会に赴いて初めて手にした選手のサインはドゥトラと遠藤彰弘。「凄い、スタンドから見ていた人が自分の目の前にいる」と興奮した思い出がある。父に初めて買ってもらったレプリカユニフォームはドラゴンの背番号9。「本当はユ サンチョルの背番号2が良かった」とは言えなかったそうだ。
本格的にGKをやるようになったのは小学4、5年のころ。6年生のあるとき、あざみ野FCの先輩でF・マリノスユースに所属する水沼宏太と金井貢史(現在はFC琉球)が練習に参加してくれたことがあった。
「2人が卒業後にプロになるのも知っていました。貢史くんのミドルシュートがあまりに速すぎて手が追いつかず、頭に当たっちゃって(笑)。プロになる人のシュートって凄いなって驚いた記憶が鮮烈にあります」
ジュニアユースのセレクションはF・マリノスを第一希望としていたものの、不合格に終わる。先に内定をもらっていた横浜FCの育成組織に入ることを家族と相談して決めた。
「神奈川県選抜に入って、試合でも使ってもらっていたので、何となくF・マリノスのジュニアユースに入れるんじゃないかって勝手に思っていたところはあったかもしれません。そのときの気持ちをはっきりと覚えているわけではありませんが、残念だなっていう気持ちがあったとは思います」
ジュニアユース、ユースとステップを踏み、2014年に横浜FCのトップチームに昇格する。しかしここで厳しい現実を突きつけられてしまう。
「キャンプのときにシュートが全部入ってしまうなど、最初の数カ月を過ごしてみてプロ選手としてやっていけないと思いました。自信を持っていたものが、何も発揮できない。このままじゃすぐにクビになってしまうなって」
自信ゼロからのスタートだった。プロに見合うだけの実力を、と一つひとつ、進歩していこうとした。いや、そうやって必死にやっていくしかなかった。入団から3シーズンはリーグ戦の出場はなかったものの、「いろんな人の助けを借りながら頑張ってきた」なかでプロ4年目となる2017年シーズン、J2で41試合に出場する。
「試合の勝敗を分けてしまうようなミスもしたし、チームメイトに申し訳ないようなプレーもいっぱいやりました。うまくいかなことが続いても、やり続けたことで道が少しずつ拓けていく感覚がありました」
ミスをしてしまったら、チームメイトに申し訳ないようなプレーをしてしまったら、同じことを繰り返さないように。
少しずつでも上積みを感じられたからこそ、自分を奮い立たせて出場を重ねることができた。
2018年3月にはサガン鳥栖に移籍。当初は控えの立場ながらも、翌19年からは出場機会を増やしていく。
そして迎えた20年10月、かねて憧れの気持ちを抱いてきたF・マリノスからオファーを受けることになる。
「正直、驚きました。そのシーズンは鳥栖でやり切ると決めていたのですが、これからの自分のサッカー人生を考えてみて、チャレンジすべきだと思いました。移籍するということは競争がまた一からになりますし、出られない可能性もある。ただそこを考えるよりも、さらに成長できる環境だと思ったし、ずっと身近な存在だったF・マリノスでプレーする機会をいただけたのだから、と」
F・マリノスでレギュラーを張っていたパクが鳥栖に移籍し、GK争いが横一線になったなかで、合流していきなり10月28日のアウェイ、サンフレッチェ広島戦に起用される。
このF・マリノスデビュー戦では忘れられないエピソードがあるという。
「キックオフ前の円陣で天野純くん(現在は蔚山現代)が〝ヨウスケのプレーを最大限に尊重してやっていこう〟と言ったんです。あっ、俺、陽平です、みたいな感じになって笑いが起こったんですよ(笑)。でも純くんなりに僕をサポートしてくれようとしたことがとてもうれしかったんです」
加入してから間がなく、チームやチームメイトの特徴をつかめていたわけでもない。F・マリノス特有のハイラインにおける守備も、見るのと実際にやるのではまるで違っていた。
オウンゴールやPKもあって1-3敗戦に終わる。続く鹿島アントラーズ戦、湘南ベルマーレ戦でも敗れて3連敗。サブに回った浦和レッズ戦でチームは快勝し、再びピッチに立った川崎フロンターレ戦ではペナルティーエリア外で手を使ってブロックし、レッドカードを受けて退場処分となる。次節のシーズン最終戦は出場停止となり、1試合も勝てないまま高丘のシーズンは終了した。
「チームを勝利に導くのが自分の仕事なのに、果たせなかった。悔しい気持ちでいっぱいでした」
プロになりたてのころ一歩ずつ前進したように、一日一日成長していくことを何よりも大切にした。最初からうまくいくとは想定していなかったところもある。
「チームが時間を掛けて積み上げてきたサッカーに対して、外から入っていきなりやれるほど甘くはありません。練習でGKからボールをつないでいくところでも、自分の感覚的には出してしまうと危ないんじゃないかって思っても、つながっていく。そこ大丈夫なのかって、最初は感覚がどうしても違っていました」
これまでも榎本哲のプレーを映像で参考にしていたが、アンジェ ポステコグルー監督のもとで試合に出ていた飯倉、パクのプレーを何度も映像でチェックして、自分のプレーに重ね合わせるようにした。< br />
そして何よりも松永GKコーチとのトレーニングによって成長を実感することができるようになる。
「今まで取れなかったボールが取れたり、今まで弾いていたボールが楽にキャッチできたりと、シュートを止める幅が確実に広がっていきました。シュートストップ以外でも背後の処理、ハイボール、配球とF・マリノスのGKというのはすべての能力が求められるなかで、シゲさんの指導で確実にレベルアップしていきました」
チームのやり方を理解し、自分の持ち味をチームメイトに理解してもらう――。
日々、研さんを積み、自分が掲げたテーマを実行に移していく。
背番号1に変更した翌21年シーズン、リーグ戦は控えからスタートしたものの、ルヴァンカップグループステージ初戦のホーム、ベガルタ仙台戦(3月3日)に先発し、1-0でようやく加入後初勝利を挙げる。その後、リーグ戦でもチャンスが到来。4月3日のホーム、湘南ベルマーレ戦でチームにフィットしたプレーを明確に示すとレギュラーに定着。試合を重ねるたびに存在感を増していく。
優勝した川崎フロンターレに大きく引き離されての2位ではあったものの、多くの勝利を重ねることができた。それでも心に宿ったのはうれしさよりも悔しさだったという。
「優勝を目指してきたなかでそこに届かなくて、自分に力不足を感じたのも事実です。苦しいときにチームを助けられるような選手でありたい。そんな思いにさせられたシーズンでもありました」
悔しさが成長を呼び込む。その成果が今、あらわれていると言っていい。,br />
日々の練度を高めて22年シーズンに入っていき、ここまでリーグ戦、ACLとフル回転。チームを助けるビッグプレーがこれまで何度あったことか。
21年シーズンよりトップチームのGKアシスタントコーチを務める榎本コーチはこのように評価する。
「陽平はとにかくストイックですね。日々のトレーニングでは彼なりにいろいろ考えていますし、こっちが要求するプレーでもナチュラルに体を動かせるのは一流GKの証。筋トレも、試合のプレー分析もしっかりやっています。積み重ねてきたものがプレーにあらわれている印象を受けます」
試合が終われば松永コーチと話し込む場面は恒例。そこでのフィードバックが次に活かされている。そして練習では榎本コーチに対して高丘が質問攻めにすることもある。
「小さいときから哲さんのプレーを見てきましたから、あのプレーってどういう意図だったんですか、とか、逆に自分のプレーに対して哲さんならどうしますかとか、いろいろと聞かせてもらっています。シューターの心理まで考えてセービングするところは自分も似たような感覚を持ってるので、相当助けていただいています。シゲさん、哲さん、2人のGKコーチの存在は僕にとってかなり大きいです」
体のサイズも松永、榎本の現役時代に近い。川口、飯倉、パクにしてもそう。基本に忠実で、敏捷性があり、サッカースキルが高いという持ち味を高丘も継承している。
今後の目標はタイトルと、日本代表入りだ。
「F・マリノスの歴代GKのみなさんの名に恥じぬよう、日本のトップクラスのGKになっていかなきゃいけないし、日本代表にも入っていきたい。そう考えるとまだまだ足りないものだらけ。そして何よりもチームメイトから信頼される選手になりたい。試合に勝ってタイトルを獲ることがそこにつながっていくとも考えています」
真摯に、愚直に、臨機応変に。人一倍強い責任感もある。
そのプレーの特長には何より高丘陽平の人間性が映し出されている。
彼は言う。
「パーソナリティーが色濃く出るポジション。その土台があって、ゴールキーピングとかいろんなものがあると僕は思っています。みんなからの信頼がないとゴール前に立てないじゃないですか。本当の信頼を得るには、一つひとつ積み上げていくしかない。まずは人間としてどうあるべきか。僕が最も大切にしている部分はそこですし、これからもっと磨いていかなければならないと思っています」
信頼される人間に、信頼されるGKに。
F・マリノスの守護神としてあるべき姿は、はっきりと見えている。
(終わり)














